- 【日本理化学工業株式会社】
- http://www.rikagaku.co.jp/
- 昭和12年に設立された日本理化学工業は、環境に配慮したホタテ貝殻配合によるダストレスチョーク(粉の飛ばないチョーク)を開発。業界トップを走る一方。従業員の約70%が知的障害者が占める企業としても注目されている。2月13日のテレビ朝日「報道ステーション」でも「障害者7割のトップ企業 原動力は“働く幸せ”」として取り上げられたので視聴した人も多いと思う。ホームページの経営方針には、同社の理念ともいえる『幸福とは、人に愛されること、人にほめられること、 人の役にたつこと、 人から必要とされること、の4つです。働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのです』・・・とする大山泰弘社長(現会長)がある法事の席で導師から聞いた言葉が紹介されている。大山氏は「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」と述べており、働くことを通じて社会にコミットメントすることが、人間にとってどれほど掛けがえのないことか、障害者雇用の実践を通して証明している。50年前「就職が無理ならせめて働く喜びだけでも体験させてあげたい」とする養護学校教師の熱心な依頼により実現した2週間の職業体験。その終了後に起こった全従業員による社長説得でかなった知的障害をもつ15歳の少女2名の就職。彼女らは65歳の今も元気で働いている。学校、公民館、図書館等、社会教育施設こそ海洋地球資源の再生利用に成功した日本理化学工業のホタテ貝殻配合のダストレスチョークを利用して障害者雇用を応援してほしい。
「報道ステーション」のビデオ視聴先:http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/feature/detail.php?news_id=5967&y_m=09-02
- 【かんてんぱぱ/伊那食品工業株式会社】
- http://www.kantenpp.co.jp/index.html
- 「寒天ぞうすい のり風味」「牛乳寒天の素」「寒天と豆のスープ グリーンピース入り」といった新しい寒天商品を次々と開発し、ヒット作を産み続けている寒天製造業の老舗。とかく寒天というと斜陽産業と見られがちだが、どっこい伊那食品工業はすごい。ホームページでも「寒天の知識」「寒天の科学」などの学習コンテンツや、材料と作り方のデータ・ハウツーに「料理」から「商品」から探すレシピ集「かんてんぱぱの台所」、地元住民の自主活動の場、憩いの場、観光客が季節の風情と食文化をゆっくり楽しめる場として開放されている「かんてんぱぱガーデン」など多彩だ。ホームページ上は目立たないが最も注目してほしいのは伊那食品工業についてのコーナー。社是には『いい会社をつくりましょう。いい会社とは、単に経営上の数字が良いというだけでなく、会社をとりまく総ての人々が、日常会話の中で「いい会社だね」と言ってくださるような会社の事です。さらに、社員自身が会社に所属する幸せをかみしめられるような会社をいいます』とある。代表取締役会長 塚越 寛氏のあいさつ文にも「会社の真の目的は、会社を構成する人々の「幸」の増進を計りながら、様々な分野で社会に貢献することであり、成長も利益もそのための手段であると信じます」とあり、「人件費はコストではなく目的である社員の幸福を実現するための生活費」との考えとか。こうした経営理念が絵空ごとではなく、実際の経営に反映されていることで同社の評価は高い。最近も「誰一人リストラしない 人がすべての経営戦略」(週刊文春:2009.02.23)として塚越社長のインタビューが掲載された。
- 【中村ブレイス株式会社】
http://www.nakamura-brace.co.jp/index.html
- 1996年4月、モンゴルの草原大火災で放牧中の羊を助ける間に全身炎に包まれ、両足を付け根から失ったツォグトオチル君(当時15歳)を日本に招いて義足の採型から制作、装着の訓練を行った会社があったことを記憶されている方も多いのでは。また、2007年2月「石見銀山遺跡とその文化的景観」が日本で14番目の世界遺産登録を果たしたことは記憶に新しい。中村ブレイスはこの石見銀山のある島根県大田市大森町にある。創業者の中村俊一郎氏は高校卒業後、京都の義肢装具製作所で6年間働く傍ら通信教育により大学を卒業。その後、義肢装具の先進地米国に渡って約2年半、研修生として修業。最先端の技術を吸収して帰国し、1974年郷里の大森町に戻ってたった一人で創業。いまや、頭部・頸椎装具、上肢装具、体幹・股装具、膝装具、足関節装具などから人工乳房ビビファイ 、スキルナー(皮膚等のシリコンゴム製人工補正具)、人工肛門用装具まで次々と義肢装具を開発し、製品数は約200種に昇り、ひとりひとりのニーズに熱意と高度な技術で応える世界的な企業に成長。2006年には「元気なモノ作り中小企業300社」(経済産業省・中小企業庁)にも選定されている。中村社長は産業人でありながら島根県の教育委員を8年、うち5年は教育委員長を務めたという教育人でもある。同社と従業員は町の清掃や地域文化活動にも精を出すとともに、石見銀山に関するさまざまな研究や文化活動に尽力している個人や団体を全国から選考し、「石見銀山文化賞」として毎年独自に表彰している。(財)経済産業調査会の次のサイトでは中村社長のビデオインタビューが視聴できる。
http://www.chosakai.or.jp/excellent/nakamura/index.html
- 【株式会社柳月】
http://www.ryugetsu.co.jp/index.shtml
- 「三方六」「ボンヌ」「焼きショコラ」「十勝この実」「十勝川」「黒かりん」・・・などのお菓子をご存じだろうか。これらは北海道・十勝の地で1947年創業の「柳月」(りゅうげつ)の人気商品。同社はお菓子を通じて家族の幸福と地域社会への貢献をモットーとし、帯広とその周辺に限定した店舗展開で注目されている地方発のエクセレントカンパニー。2代目社長の田村 昇氏はホームページで「母のまなざしが宿る、美しき郷里の菓子で在りたい」とし、同社の経営理念として『五つの誓い』を掲載している。それによると「私たちは、お菓子を通じて、家族の絆を結び、人と人との心を結びます。1. 私たちは、心を結ぶ団欒(だんらん)をお手伝いします。2. 私たちは、心を結ぶお菓子をつくり続けます。3. 私たちは、心を結ぶ、接客・サービスを行います。4. 私たちは、地域社会と心を結びます。5. 私たちは、心を結び、幸せを目指します。この『五つの誓い』の達成に、全社員が一丸となり、日々努力をしている会社です」と述べている。平成17年には「第一回北海道エクセレントカンパニー」の優秀賞を受賞している。偽装問題等の影響で食品業界が厳しい視線を浴びるなかにあって、柳月には素材へのこだわりと最新鋭の衛生管理・品質管理システムの導入による、安全でおいしいお菓子づくりの徹底ぶりがうかがわれる。また、「ガーデンカフェ」「お菓子づくり体験工房」「工場見学」などのサービスを提供している「スィートピアガーデン」(工場)も、年間60万人が訪れるレジャースポットとして地域社会に欠かせない存在になっている。
- 【杉山フルーツ】
- http://www.sugikiyo.com/index.html
- 杉山フルーツは静岡県富士市にある69店舗からなる吉原商店街にある。同商店街は最盛期には120店舗ほどあったというから約半減し、いまや地方のどの都市にもあるシャッターが目立つ商店街とか。そんな商店街で杉山フルーツが注目されるようになったのは、高級品にまとを絞った営業に方針転換を果たしてからとか。ホームページを見ると、お客様に高い満足が得られるよう、とにかく商品開発が熱心なところがうかがえる。「SUGIYAMA FRUIT JELLY CATALOG」のページでは18種類の生ゼリーのカタログが。「イクミーズコレクション スギキヨコレクション」と銘打った贈答セットのページでは「静岡産クラウンメロン」「メロンバスケット」「フルーツ玉手箱(母の日バージョン)」「ラッピングスイカ」「弘前ふじ・次郎柿・王林・ゴールドキューイ・デュコミスの詰め合わせ」などの目にも鮮やかなフルーツアレジメント・フルーツギフト商品が並ぶ。日変わりの数量限定店頭販売商品や注文に応じて全国に発送するギフト商品まで、評判が評判を呼びいまや地元をはじめとして全国からの注文に応え、家族を中心とした従業員5人の店で年間30,000個のフルーツギフトを商うまでに至っている。2005年4月には娘婿の杉山 清氏(フルーツソムリエ)がフルーツを食べやすく進化させた「生フルーツゼリー」を商品化。1日200〜300個の限定商品ではあるがフルーツソムリエのつくる生ゼリーとして脚光を浴びており、杉山フルーツは単なる商店から小さいながらも商店街発のメーカーへと、イノベーションを遂げつつある。
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